自宅から徒歩1分のところに海蔵寺がある。
以前紹介した草津神社を左に折れ、細い道を歩きます。
ちなみに石段の上から電車が通るとこんな感じ。
草津八幡宮は、毎日出勤途中に訪れるけど、この海蔵寺は近所に住んでいながら、今まで足を運んだことがなかったんですね。
天気もいいし、 訪ねてみることにしました。(詳しく知りたい人は下のホームページを参照して下さい)
→ 海蔵寺ホームページ
石段の登り口にある灯籠。なんでも明治時代に建てられたものらしいのですが、「一畑薬師如来 沽輝」とあります。
一畑薬師は、島根県出雲市が総本山。きっとそこからの寄贈されたものなんでしょうね。
参道の途中にあるちっちゃな赤い鳥居。
犬(狛犬)?キツネ? 仲良くお出迎えをしてきれました。この祠の横に目を移すと大きなクスノキが。
説明を読んでみると、クスノキ科タブノキ属の常緑広葉樹、とあり、おもに海岸地方に生える木とあります。やはりこのあたりまで大昔は海が広がっていたんでしょうね。
坂の中腹から見た町並み。
山門に到着しました。
正式には鐘楼門と言います。
この鐘楼門は1826年(文政9年)の建立。
門をくぐって上を見上げると、吊り鐘が。この吊鐘は、太平洋戦争の時、物資不足のため、国に供出されてしまいました。そのため、建立当時の鐘ではありませんが、平成17年に再鋳しています。
鐘の横には橦木(しゅもく・鐘をつく木の棒)も見えます。
ちなみにワンポイント。
吊鐘をつく木の棒は橦木といいますが、お寺の和尚さんの横に置いてある鐘の仏具を鳴らすT字型の棒の事もまた「撞木(しゅもく)」 といいますが、「橦」と「撞」、木へんと手へんで漢字が違います。
海蔵寺の本堂です。
海蔵寺は、曹洞宗の寺院で、応永年間(1394~1427年)、中国天台宗の僧、慈眼禅師が創建したというから、今から600年以上前。歴史も古いです。
ご本尊は十一面観音で、応永時代の創建当時にお迎えしたらしく、仏師集団である印派(いんぱ)に属する仏師により造像されたと言い伝えられています。
毛利時代には、毛利家家臣 児玉家(草津城主)の菩提寺でした。
1555年(弘治元年) 厳島合戦では毛利家の陣中となったり、1588年(天正16年)には 毛利輝元が宿泊したと伝えられています。
1840年(天保11年)に本堂が再建、その24年後の1864年(元治元年)、歴史上有名な「蛤御門の変」が起き、幕府側と長州側との会談が、広島藩の仲裁の元開かれたとあります。
1945年(昭和20年)8月6日の原爆の爆風で、本堂が傾くなどの甚大な被害を受けました。(爆心地より4.95㎞) 原爆の負傷者の避難所にもなったそうです。
説明書には、ご本山は、永平寺(福井県)、總持寺(横浜市)とあります。
ウィキペディアによると曹洞宗は、中国の禅宗五家(曹洞、臨済、潙仰(いぎょう)、雲門、法眼)のひとつで、日本においては禅宗(曹洞宗、日本達磨宗、臨済宗、黄檗(おうばく)宗、普化宗)のひとつ。
日本では鎌倉時代、道元が始まりです。
お唱(とな)えは「南無釈迦牟尼佛(なむしゃかにぶつ)」。お釈迦様を本尊として仰いでいるのです。お釈迦様は、仏教の開祖で、実際に生きていた人なんですよ。
仏の十戒
1、生きとし生けるものの生命を大切にしなければならない
2、盗みや不正を犯してはならない
3、夫婦の道を乱してはならない
4、うそ偽りを言ってはならない
5、迷いの酒や思想に溺れてはならない
6、他人の過ちを言い触らしてはならない
7、おのれの自慢ひとの悪口を言ってはならない
8、物ても心でも与えることを惜しんではならない
9、激しい怒りで自分を失ってはならない
10、仏陀(ほとけ)の教えを疑ってはならない
ごくごく当然の教えですが、すべて実戦出来ている人、そんなに多くはいないかも。
あらためて、反省します・・・。 (続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿