2015年6月27日土曜日

今日の1枚~その307

神戸市長田区・鉄人28号モニュメント

2015年6月25日木曜日

オトナの遠足~達遊会 神戸編その2

 >>オトナの遠足~達遊会 神戸編その1<<


太山寺を後にし、再び歩きます。


























上り坂もあり、2㎞の距離はかなりきつかったんですが、ようやく次の乗車駅の市営地下鉄「学園都市駅」に到着。


















で、向かったのは「新神戸駅」。次の目的地は「徳光院と布引の滝」です。おすすめハイキングコースにも指定されていて、ぐるっと回って50分、約2キロの行程です。
その前に駅の売店で昼食などを買い込んで出発。

















てくてくと再び上り坂を登ります。




















































歩いて15分ほどでしょうか、着きました。「徳光院」です。

























徳光院は、明治38年(1905年)に川崎造船所の創業者、川崎正蔵が建立したものです。


























境内にある多宝塔は、もと明王寺(垂水区名谷町)にあったものを正蔵が移築したもので、国の重要文化財に指定されているそうです。















御朱印集めをしている参加者は、早速列を作ってました。


























さて、徳光院の近くの公園でいったんお昼ご飯休憩。


















みんな思い思いに食事。ビールが欲しい、という人もいて、この付近にお店がなく、探し回ってようやく手に入れた人もいましたね。


























さて、食事も済んで目的地を目指します。


























「布引の滝」に着きました。

上から雄滝(おんたき)、夫婦滝、鼓ヶ滝、雌滝(めんたき)の4つの滝を総称して「布引の滝」と呼ばれています。古くから数多くの貴族や歌人が訪れていて、「伊勢物語」にもしばしば登場しています。
滝には竜宮城の乙姫さまが住んでおり、布引の滝が白く見えるのは、この乙姫さまが着ている白い布がさらされているから、という言い伝えがあるそうです。 
布引の滝









































滝を目の前にして、しばし鑑賞。なかなか壮観な景色であります。


















歌人たちに思いをはせながらここで一句・・・・・・・。

・・・・・・・・・出ません・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。(続く)

                           >>その3へ続く<<


 






2015年6月22日月曜日

オトナの遠足~達遊会 神戸編その1

会社関係の仲間で作るウォーキングイベント「達遊会」が6月20日(土)に開催。今日は、神戸方面を散策します。


朝、8時頃、神戸市営地下鉄山手線「三宮駅」東口改札の集合。


















今日は30人以上が参加。ワタシは2回目の参加ですが、主催者によると過去最大の参加人数のようです。

>>1回目の参加の様子はココ⇒宇治・伏見を散策しました<<



















岩手日報の馬場さんは、奥様と参加。他にも子どもと一緒に参加の人もいて、とてもゆるーい会なのです。









































今回の幹事の神戸新聞社・井出さんから注意事項の説明ののち


















出発です。8時18分発の名谷・西神中央方面行きの電車に乗って


















伊川谷駅に到着。


















駅前から今度はバスに乗って、


















太山寺前に到着。


















仁王門(重要文化財・室町中期)。右と左には仁王像がにらみを利かせています。


















仁王門から参道をてくてく。


























太山寺に到着しました。出発から1時間ぐらいのところにあります。この太山寺は「新西国観音第二十五番霊場」でもあります。


























三身山太山寺の歴史(パンフより)

当時は天台宗。天延元年(973年)12月8日の年紀をもつ「播州太山寺縁起」には藤原鎌足公の子、定恵和尚の開山、霊亀2年(716年)公の孫である宇合(不比等の子)の建立と伝える。宇合が明石浦摩耶谷の温泉で療養中、夢の中に薬師如来が出現した。
薬師如来は、ここより東北の地に定恵和尚結縁の地があり、定恵和尚は願望を果たせず寂しいと示現したところ、宇合はその教示に従い七堂伽藍を整備し薬師如来の尊像を安置したという。
元正天皇(715~723在位)の勅願時として、歴代天皇をはじめ一般民衆にいたるまで広く信仰を深めた・・・・
三重塔(県指定文化財)






























・・・建武中興(1334年)の時は、朝敵北条勢を討つため大塔宮護良親王の令旨を受けて、当時衆徒のめざましい活躍があった。寺運は大いに栄え、この地方の一大法城として南北朝時代には支院四十一ヶ坊・末寺六ヶ社を持ち増兵も養っていたが、世相の有為転変や戦火によっての興亡・浮沈は著しく、現在は龍象院・成就院・遍照院・安養院・歓喜院の五ヶ坊となっている。
本堂(国宝)




























・・・播磨の名刹として幾多の戦乱や時勢の波にもまれながら千三百年の法燈を守り続けてきた太山寺は、今新たなる歴史を歩もうとしている。

説明が難しくて、理解しにくいです(泣)



















本堂から離れた奥の院のほうへ。
閼伽井(あかい)橋




























閼伽井橋を渡ってゴツゴツした道の先に・・・


























・・・地蔵堂がありました。昔はこの下から水が湧きだしていたそうです。
地蔵堂












































川のせせらぎと木々の音しか聞こえない、静寂な空間でした。(続く)

                            >>その2へ続く<<