ラベル 海蔵寺 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 海蔵寺 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年8月10日日曜日

海蔵寺の縁日


















台風一過の8月10日の夜、近くの海蔵寺で縁日のお祭りがあったので、途中からでしたけど参加しました。

















石段にも提灯の明かりがともされていて、ふぜいがありますね。








































坂道から市内を望むとこんな感じ。








































さて、門をくぐると

















縁日が始まってました。

















盆踊り用のやぐらの上からはお約束の国旗も。これを見てるだけでああ、夏祭りだなあという雰囲気が出ますね。



















そんなに大きな境内ではないですが、

















 子供たちは楽しそう。


















 さて、盆踊りの音楽が流れて、再び踊りが始まったよう。みんな思い思いに輪になって踊っていました。



















最後はビンゴ大会。

















商品をしっかりゲットできたでしょうか。


















最近の週末は天候が悪くて、せっかくの夏休みも十分に楽しめなかったでしょうが、今日はよかったですね。

























夜空も満月。夏休み後半もしっかり楽しみましょう。














2014年4月3日木曜日

3月30日の桜の風景④海蔵寺

太光寺を後にして、最後は海蔵寺へ。下りの山道脇の桜もまた見事です。








































下ったところに大きな桜の木が。
大きくて美しい。







































なんとまあ静かな空間ですね。

 桜の時期もあと1週間。田方界隈にもこんなにもたくさんの桜の見どころがあるので、ぜひ見てください。


hhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh


2013年6月10日月曜日

海蔵寺に行ってみた!その3



 


海蔵寺に行ってみた!1を見る

海蔵寺に行ってみた!2を見る



海蔵寺の墓所を散策してみました。

 


下は北条氏直のお墓です。

北条氏直は、1590年(天正18年)豊臣秀吉が小田原城を攻めた時に降伏させた北条氏政の子。氏政は自害したが、氏直は徳川家康の娘婿のため、助命され高野山に謹慎させられました。後に秀吉のお則衆となって一万石を領したとのこと。


広島浅野藩時代、家老を務める三家(三原浅野家、小方浅野家、東城浅野家)のうち、 東城浅野家の菩提寺が、この海蔵寺。

年表では、

元禄2年(1689年) 境内を整備し石組みの庭を造る。
文政9年(1826年) 鐘楼門再建し、現在に至る。
天保11年(1840年)本堂再建し、現在に至る。
元保元年(1864年) 蛤御門の変で幕府は長州藩追討を決定。長州藩は広島藩に仲裁を依頼。幕府と長州藩の談判が行われた。

とあります。浅野家は歴史上、重要な位置にいたのですね。

 
 浅野家のお墓の特徴は「五輪墓」。

五輪墓とはもともとはインド発祥と言われていますが、日本では平安時代末期頃から供養塔として多く見られるようになったとあります。

五輪なので、5つの石が積み重なっています。

ウィキペディア では「 五輪塔の形式は、石造では、下から、地輪は方形(六面体)、水輪は球形、火輪は宝形(ほうぎょう)屋根型、風輪は半球形、空輪は宝殊型によって表される。密教系の塔で、各輪四方に四門の梵字を表したものが多い。しかし早くから宗派を超えて用いられた。」とあります。参考にしてください。














さて、墓所を巡っていると、ご先祖のお墓をきれいに清掃しているおばあちゃんに会いました。
















 

「おはようございます!」

「おはようございます。」

やっぱり挨拶はいいですね。


 おばあちゃんのお名前は、栗栖タキコさん(80)。

 聞くと、私の自宅のすぐ近くにお住まいだということがわかりました。

  「まあ、東京からきんさった偉いお人かと思いました。」 


・・・おばあちゃん、私のことをそんな・・・(*´ω`*)


 

 おばあちゃんが墓前にいけている、一見さかき(榊)ですが・・・。

「こりゃあね、“しきび”言うんよ。こりゃあ根っこがついとるけえ長持ちするんじゃが、なかなか無いけえ廿日市までいかんと手に入らんのよ。」

へえ、そうなのか。知らなかった・・・。


 ちなみにしきびと榊の違いはココ→しきびと榊の違い



 無理言って清掃中の栗栖家のお墓の前で写真を1枚。

 「いやあ、恥ずかしい」

って言いながらも、ちゃんと写真に写っていただきました。

 



「この上で大昔放火があってみな焼けてしもうたんよ。 」

などなど、タキコおばあちゃんはこの墓所のお話をいろいろしてくれました。

 「 この上に山中家のお墓がありますよ。」

って教えてくれたタキコおばあちゃん。

このしっかりした門構えをした区画がそうです。



  尼子方の名武将、山中鹿之介の次女、盛恵のお墓です。
山中鹿之介は、「山陰の麒麟児」と呼ばれ戦国時代~安土桃山時代に、山陰地方で活躍した武将。
広島は毛利元就が有名ですが、尼子も有名。その家臣であった山中鹿之介は、武勇伝が多く伝えられています。

次女の盛恵さん、いったいどんな人生を歩んだんでしょうか―。






それにしても、タキコおばあちゃん、色々と教えてくださってありがとうございました!

近所で会ったらよろしくお願いしますね!












































2013年6月9日日曜日

海蔵寺に行ってみた!その2











 第二土曜日の朝10時から坐禅修行の会があるため、参加者がちらほら集まってきていました。
それ以外は本当に静かです。


 


 本堂の右隣の一角にお守りやお札の販売スペースが。

お守りも1個500円ですが、お金は、横に備え付けの賽銭箱に入れるようで。

盗まれたらどうするんだろう?とか思っちゃいますけど、お寺のお参りに来る人でそんな罰当たりな人いないよ!っていうことなんでしょうね。

全国のお寺も、こういった形式で販売しているところも結構あるんだろうなあって思ってしまいます。


石碑です。



読んでみると、1840年(天保11年)に再建された本堂は、 1945年(昭和20年)8月6日に落ちた原子爆弾の被害で本堂が大きな被害を受けたということが記されていました。

爆心地から4.95キロメートル。こんなに離れたことろでも大きな被害を受けたということは、落ちた原子爆弾は、相当な威力があったんでしょうね。被爆後、本堂には避難してきた多くの負傷者で足の踏み場もないほどの状態だったとあります。たくさんの生命がここで失われたと思うと、本当に胸が傷みます。




 欄干です。
 屋根を見上げてみました。

逆立ちしてるのは獅子?犬?うーん。



 朝日を浴びた境内。

とても落ち着いた佇まいです。













 本堂の裏手では石組庭園があります。
 ホームページなどによると、1689年(元禄2年)に築造された庭園。規模は約380平方メートル。東西幅約20メートル、南北約19メートル。



池の面積は66平方メートル で、ほぼ三角形に近い。様式は「池泉(ちせん)観賞式 」と呼ばれています。現在の水源は、滝から落ちるごく少量の水と、池底からの湧水で保たれているそうです。
大正時代に裏山の土砂崩れによって一度は埋もれてしまったんですが平成10年に見事復活しました。

池には鯉が悠々と漂っていました。(写真上側にちっちゃく見えてます)

 







2013年6月8日土曜日

海蔵寺に行ってみた!




自宅から徒歩1分のところに海蔵寺がある。

以前紹介した草津神社を左に折れ、細い道を歩きます。


 すると海蔵寺の参道に到着します。ここまで自宅から1分ちょっと。参道の途中にまたがる踏切はJR山陽本線。



















ちなみに石段の上から電車が通るとこんな感じ。
 草津八幡宮は、毎日出勤途中に訪れるけど、この海蔵寺は近所に住んでいながら、今まで足を運んだことがなかったんですね。

天気もいいし、 訪ねてみることにしました。(詳しく知りたい人は下のホームページを参照して下さい)


→ 海蔵寺ホームページ



 石段の登り口にある灯籠。なんでも明治時代に建てられたものらしいのですが、「一畑薬師如来 沽輝」とあります。

一畑薬師は、島根県出雲市が総本山。きっとそこからの寄贈されたものなんでしょうね。













参道の途中にあるちっちゃな赤い鳥居。






 犬(狛犬)?キツネ? 仲良くお出迎えをしてきれました。この祠の横に目を移すと大きなクスノキが。





説明を読んでみると、クスノキ科タブノキ属の常緑広葉樹、とあり、おもに海岸地方に生える木とあります。やはりこのあたりまで大昔は海が広がっていたんでしょうね。

















坂の中腹から見た町並み。















 山門に到着しました。

正式には鐘楼門と言います。

この鐘楼門は1826年(文政9年)の建立。
 門をくぐって上を見上げると、吊り鐘が。この吊鐘は、太平洋戦争の時、物資不足のため、国に供出されてしまいました。そのため、建立当時の鐘ではありませんが、平成17年に再鋳しています。

鐘の横には橦木(しゅもく・鐘をつく木の棒)も見えます。

 ちなみにワンポイント。

吊鐘をつく木の棒は橦木といいますが、お寺の和尚さんの横に置いてある鐘の仏具を鳴らすT字型の棒の事もまた「撞木(しゅもく)」 といいますが、「橦」と「撞」、木へんと手へんで漢字が違います。


海蔵寺の本堂です。



海蔵寺は、曹洞宗の寺院で、応永年間(1394~1427年)、中国天台宗の僧、慈眼禅師が創建したというから、今から600年以上前。歴史も古いです。

ご本尊は十一面観音で、応永時代の創建当時にお迎えしたらしく、仏師集団である印派(いんぱ)に属する仏師により造像されたと言い伝えられています。

毛利時代には、毛利家家臣 児玉家(草津城主)の菩提寺でした。

1555年(弘治元年) 厳島合戦では毛利家の陣中となったり、1588年(天正16年)には 毛利輝元が宿泊したと伝えられています。

1840年(天保11年)に本堂が再建、その24年後の1864年(元治元年)、歴史上有名な「蛤御門の変」が起き、幕府側と長州側との会談が、広島藩の仲裁の元開かれたとあります。

1945年(昭和20年)8月6日の原爆の爆風で、本堂が傾くなどの甚大な被害を受けました。(爆心地より4.95㎞) 原爆の負傷者の避難所にもなったそうです。


説明書には、ご本山は、永平寺(福井県)、總持寺(横浜市)とあります。

ウィキペディアによると曹洞宗は、中国の禅宗五家(曹洞、臨済、潙仰(いぎょう)、雲門、法眼)のひとつで、日本においては禅宗(曹洞宗、日本達磨宗、臨済宗、黄檗(おうばく)宗、普化宗)のひとつ。

日本では鎌倉時代、道元が始まりです。




お唱(とな)えは「南無釈迦牟尼佛(なむしゃかにぶつ)」。お釈迦様を本尊として仰いでいるのです。お釈迦様は、仏教の開祖で、実際に生きていた人なんですよ。


 

仏の十戒
1、生きとし生けるものの生命を大切にしなければならない
2、盗みや不正を犯してはならない
3、夫婦の道を乱してはならない
4、うそ偽りを言ってはならない
5、迷いの酒や思想に溺れてはならない
6、他人の過ちを言い触らしてはならない
7、おのれの自慢ひとの悪口を言ってはならない
8、物ても心でも与えることを惜しんではならない
9、激しい怒りで自分を失ってはならない
10、仏陀(ほとけ)の教えを疑ってはならない

 ごくごく当然の教えですが、すべて実戦出来ている人、そんなに多くはいないかも。

あらためて、反省します・・・。 (続く)