朝、8時頃、神戸市営地下鉄山手線「三宮駅」東口改札の集合。
今日は30人以上が参加。ワタシは2回目の参加ですが、主催者によると過去最大の参加人数のようです。
>>1回目の参加の様子はココ⇒宇治・伏見を散策しました<<
岩手日報の馬場さんは、奥様と参加。他にも子どもと一緒に参加の人もいて、とてもゆるーい会なのです。
今回の幹事の神戸新聞社・井出さんから注意事項の説明ののち
出発です。8時18分発の名谷・西神中央方面行きの電車に乗って
伊川谷駅に到着。
駅前から今度はバスに乗って、
太山寺前に到着。
仁王門(重要文化財・室町中期)。右と左には仁王像がにらみを利かせています。
仁王門から参道をてくてく。
太山寺に到着しました。出発から1時間ぐらいのところにあります。この太山寺は「新西国観音第二十五番霊場」でもあります。
三身山太山寺の歴史(パンフより)
当時は天台宗。天延元年(973年)12月8日の年紀をもつ「播州太山寺縁起」には藤原鎌足公の子、定恵和尚の開山、霊亀2年(716年)公の孫である宇合(不比等の子)の建立と伝える。宇合が明石浦摩耶谷の温泉で療養中、夢の中に薬師如来が出現した。
薬師如来は、ここより東北の地に定恵和尚結縁の地があり、定恵和尚は願望を果たせず寂しいと示現したところ、宇合はその教示に従い七堂伽藍を整備し薬師如来の尊像を安置したという。
元正天皇(715~723在位)の勅願時として、歴代天皇をはじめ一般民衆にいたるまで広く信仰を深めた・・・・
三重塔(県指定文化財) |
・・・建武中興(1334年)の時は、朝敵北条勢を討つため大塔宮護良親王の令旨を受けて、当時衆徒のめざましい活躍があった。寺運は大いに栄え、この地方の一大法城として南北朝時代には支院四十一ヶ坊・末寺六ヶ社を持ち増兵も養っていたが、世相の有為転変や戦火によっての興亡・浮沈は著しく、現在は龍象院・成就院・遍照院・安養院・歓喜院の五ヶ坊となっている。
本堂(国宝) |
・・・播磨の名刹として幾多の戦乱や時勢の波にもまれながら千三百年の法燈を守り続けてきた太山寺は、今新たなる歴史を歩もうとしている。
説明が難しくて、理解しにくいです(泣)
本堂から離れた奥の院のほうへ。
閼伽井(あかい)橋 |
閼伽井橋を渡ってゴツゴツした道の先に・・・
・・・地蔵堂がありました。昔はこの下から水が湧きだしていたそうです。
地蔵堂 |
川のせせらぎと木々の音しか聞こえない、静寂な空間でした。(続く)
>>その2へ続く<<
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