神戸市中央区・ヴィラブランシュ |
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2015年12月10日木曜日
2015年12月3日木曜日
11月29日「いい肉の日」に武庫川渓谷廃線ウォークby男3人
11月29日は「いい肉の日」ということで、会社関連の人と焼肉を食べに行こうということになったのですが、
ただ食べるだけではダメでしょ!と。
食べる前にウォーキングをすることになり、集合場所の宝塚駅前に。(ただ食べるだけでもよかったのに。。。)
午後1時半。私たち一行(と言ってもたったの3人)はバスに乗って現地へ。
向かったのは武庫川渓谷。ここは廃線跡をとことこ歩く道があり、全国的にはまだあまり知られていないスポットだということです。
バスで降りたところから、てくてく歩いてコースの入り口へ。途中ボランティアのガイドさんが居て、「美容室のところを降りて」と親切に教えてくれました。(でもこの時点ではまだ不安。地図を見ながら進みます。)
バス停から歩いて5分ぐらいでコース入り口に着きました。のっけにJR西日本の立て看板がありました。読んでみると
「ここはJR西日本の土地や。昭和61年8月に廃線(旧福知山線)となってしもうた場所で、ハイキングコースやおまへんのや。勝手に立て看板とか立てたらあきまへんで。歩いてもなんにも整備もしてまへんさかい、もし事故でもあってもうちらの責任やないで。あんたらの自己責任で歩いてや。」
というようなことが書いていました。だからおおっぴらにはPRはしてないようで、知る人ぞ知る、という場所になってるんでしょうね。
たっている場所から、眼下には武庫川渓谷が見えます。
渓谷に沿って廃線の後を歩き始めました。歩いていると、ところどころに、昔の名残が残っていて、それを見つけるだけでも結構楽しいです。
枕木の跡が、ずっと続いています。
川ではカヌーを楽しむ人たちも。流れが急なところもあるので、楽しいでしょうねえ。
トンネルが見えてきました。あらかじめ用意した懐中電灯を持ってトンネル内を進みます。
構内は真っ暗。遠くに出口が見えましたけど、足元はゴツゴツした石と枕木でまあ歩きにくい。ところどころに、枕木から飛び出している鉄杭もあったり、湧きだした水が溜まって水たまりになっているところがあり、懐中電灯で用心しながら進みました。
けどなかなか楽しい。
出口がだんだん大きくなってきて。
ようやく出ました。
なかなか楽しい!!とりあえず記念写真を。。この後もいくつかトンネルを通っていきました。
渓谷を右手に見ながら、枕木を踏みしめながら進みました。普通に歩いても終点まで1時間半ぐらいかかります。
ずんずん歩きます。結構写真スポットもたくさんあって、いちいち時間がかかりました。
トンネルは結局5つ?ぐらいはありました。いちいち楽しい。
幾つ目かのトンネルを出ると目の前に鉄橋が。直接渡れないように柵がしてあるため鉄橋の側道を歩きます。
なんだか映画「スタンド・バイ・ミー」の世界が広がっているような錯覚に陥りました。
紅葉。
今年いろんなところで見た紅葉の中で、ここの紅葉がいちばん美しいと思いましたね。
いよいよ終点近くになりました。途中で公園もありましたけど、先を急ぎました。なんせ夕方5時から焼肉のお店を予約しているのであんまりゆっくりできません。桜のシーズンにもう一度来てみたいと思いました。
ようやくゴール。午後2時頃から歩いて、だいたい1時間半かかりました。
「さあ、大急ぎで戻らないとお店の予約の時間に間に合わない!!」
・・・と一行は思ったんですが、せっかくここまで来て温泉行かないわけにはいかん。。ということでまた更に15分ほど歩いて日帰りで入れる武田尾温泉街へ向かいました。
温泉街と言ってもあるのは2~3軒。そのうちの1軒「元湯」へ。
入浴代1000円。あんまり時間がなかったけど、ひなびた感じの温泉で、湯加減もよく、疲れが取れました~。
温泉入浴、速攻で駅へ。武田尾駅から宝塚駅まで戻った次第。
焼肉屋「あしん」。
>>あしん<<
いやいや。美味しかったっす。
いい焼肉の日になりました。(終)
ただ食べるだけではダメでしょ!と。
食べる前にウォーキングをすることになり、集合場所の宝塚駅前に。(ただ食べるだけでもよかったのに。。。)
午後1時半。私たち一行(と言ってもたったの3人)はバスに乗って現地へ。
向かったのは武庫川渓谷。ここは廃線跡をとことこ歩く道があり、全国的にはまだあまり知られていないスポットだということです。
バスで降りたところから、てくてく歩いてコースの入り口へ。途中ボランティアのガイドさんが居て、「美容室のところを降りて」と親切に教えてくれました。(でもこの時点ではまだ不安。地図を見ながら進みます。)
バス停から歩いて5分ぐらいでコース入り口に着きました。のっけにJR西日本の立て看板がありました。読んでみると
「ここはJR西日本の土地や。昭和61年8月に廃線(旧福知山線)となってしもうた場所で、ハイキングコースやおまへんのや。勝手に立て看板とか立てたらあきまへんで。歩いてもなんにも整備もしてまへんさかい、もし事故でもあってもうちらの責任やないで。あんたらの自己責任で歩いてや。」
というようなことが書いていました。だからおおっぴらにはPRはしてないようで、知る人ぞ知る、という場所になってるんでしょうね。
たっている場所から、眼下には武庫川渓谷が見えます。
渓谷に沿って廃線の後を歩き始めました。歩いていると、ところどころに、昔の名残が残っていて、それを見つけるだけでも結構楽しいです。
枕木の跡が、ずっと続いています。
川ではカヌーを楽しむ人たちも。流れが急なところもあるので、楽しいでしょうねえ。
トンネルが見えてきました。あらかじめ用意した懐中電灯を持ってトンネル内を進みます。
構内は真っ暗。遠くに出口が見えましたけど、足元はゴツゴツした石と枕木でまあ歩きにくい。ところどころに、枕木から飛び出している鉄杭もあったり、湧きだした水が溜まって水たまりになっているところがあり、懐中電灯で用心しながら進みました。
けどなかなか楽しい。
出口がだんだん大きくなってきて。
ようやく出ました。
なかなか楽しい!!とりあえず記念写真を。。この後もいくつかトンネルを通っていきました。
渓谷を右手に見ながら、枕木を踏みしめながら進みました。普通に歩いても終点まで1時間半ぐらいかかります。
ずんずん歩きます。結構写真スポットもたくさんあって、いちいち時間がかかりました。
トンネルは結局5つ?ぐらいはありました。いちいち楽しい。
幾つ目かのトンネルを出ると目の前に鉄橋が。直接渡れないように柵がしてあるため鉄橋の側道を歩きます。
なんだか映画「スタンド・バイ・ミー」の世界が広がっているような錯覚に陥りました。
紅葉。
今年いろんなところで見た紅葉の中で、ここの紅葉がいちばん美しいと思いましたね。
いよいよ終点近くになりました。途中で公園もありましたけど、先を急ぎました。なんせ夕方5時から焼肉のお店を予約しているのであんまりゆっくりできません。桜のシーズンにもう一度来てみたいと思いました。
ようやくゴール。午後2時頃から歩いて、だいたい1時間半かかりました。
「さあ、大急ぎで戻らないとお店の予約の時間に間に合わない!!」
・・・と一行は思ったんですが、せっかくここまで来て温泉行かないわけにはいかん。。ということでまた更に15分ほど歩いて日帰りで入れる武田尾温泉街へ向かいました。
温泉街と言ってもあるのは2~3軒。そのうちの1軒「元湯」へ。
入浴代1000円。あんまり時間がなかったけど、ひなびた感じの温泉で、湯加減もよく、疲れが取れました~。
温泉入浴、速攻で駅へ。武田尾駅から宝塚駅まで戻った次第。
焼肉屋「あしん」。
>>あしん<<
いやいや。美味しかったっす。
いい焼肉の日になりました。(終)
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高野山へ行ってきました。
10月7日(水)に、会社関連の研修会の一環で、和歌山県の高野山に行ってきました。高野山はその昔、弘法大使空海が密教の道場を建ててから今年で開創1200年の節目の年にあたります。
天気は晴天。とても気持ちのいい一日でした。
写真で振り返ります。
大阪を出発して約2時間半。高野山の中心、「壇上伽藍」に到着。
朱色の塔は「根本大塔」と呼ばれ、高野山真言宗の「根本」となる建物で、全宇宙の中心となる「大日如来」を表す、とされています。
堂内には、中央に本尊、胎蔵大日如来、その四方に金剛界の四仏が安置され、一六本の柱に極彩色の十六大菩薩、壁の4隅には密教を伝えた八祖像が描かれています。
この塔は、昭和12年に再建されたもの。高さが十六丈(48.5m)あります。十六丈は、百六十尺で、仏さまの身の丈が「1丈六尺」とされているので、その十倍の寸法で計画された、と考えられています。
1200年前に創建されて以降、994年に落雷のために焼失して以来、火災と再建を繰り返し、現在6代目の建物で、骨組みは鉄骨造で、その外側に木材で造った建築部材を貼り付けています。
西塔。根本大塔に次ぐ高さの塔です。
六角経蔵。平安時代の末期に建てられたもので、美福門院(鳥羽法皇の皇后)が、鳥羽法皇の菩提を弔うために造られたものです。
金堂は、高野山全体の総本堂。修行僧が手を合わせる光景は、なんとも荘厳な雰囲気でしたね。
壇上伽藍の地を後にして、次に向かったのは「金剛峯寺」。
そもそも高野山は、平安時代の初めに、弘法大師・空海によって開かれた日本仏教の聖地。「総本山金剛峯寺」というのは、金剛峯寺だけのことを言うのではなく、高野山全体をさす言葉です。普通。お寺といえば、その敷地内を境内といいますが、高野山すべてが境内なのです。 現在では、117のお寺が存在し、そのうち52か所が宿坊(しゅくぼう)で、宿泊の宿となっているそうです。
中に入ると(写真は撮れません)金剛峯寺持仏間に安置される御本尊、弘法大師坐像を見ることができました。平成11年にご開帳されて以来、高野山開創1200年記念大法会が16年ぶりのご開帳となりました。そして時期、再びの御開帳がおこなわれています。
本坊には大広間、梅の間、豊臣秀次が切腹した柳の間など多くの部屋があり、狩野派などの有名絵師による豪華な襖絵も見られます。石庭もすばらしかったですね。
また昔ながらの大きな台所もあり、修行僧何千人分の炊き出しを行っていたそうです。この薪は、今でも使われているんでしょうか。
お昼になったので、近くの宿坊「福智院」で昼食タイム。
高野山にある52の宿坊のうちの一つで、唯一天然温泉と露天風呂があるそう。住職から食事前に話を聞きましたが、温泉の掘削をするにも当時は大反対にあったんだとか。それでも根気よく、皆を説得していったそうで、なんだか自分の仕事に通じるものを感じた次第。何事も熱意と忍耐が大切だということを教えられました。
高野山といえばやはり精進料理。肉や魚のない料理はふだんなかなか食べません。毎日これだとさすがに・・・・という感じですが、たまにはいいもんです。新味があって、おいしくいただきました。
福智院を後にした一行が次に向かったのは「奥之院」。地図を見ながら歩きました。
弘法大師入定の地に建てられた奥之院へ続く約2キロの参道を歩きました。周囲には20万基を超える墓石が立ち並んでいるそうで、地図を見ながら歩きました。
参道は木々に囲まれ、パワースポットのような感じ。参道の両脇には、昔の武将、著名人の墓石がごろごろ。これは武田信玄、八代将軍吉宗、昭和の名優・鶴田浩二さんの墓石もありびっくり。
上杉謙信、石田三成、安芸・浅野家などなど・・・
司馬遼太郎さんもありました。また企業の墓石も多く、創業者や従業員さんの墓石も数多く見られました。
なんと織田信長公も。豊臣家もありましたよ。
遠い昔の武将から、歴代の著名人まで本当にたくさんの墓石がありました。やはりここはある意味、日本の中心なんだなあと実感しました。
一緒に研修に参加している岐阜県代表と沖縄県代表の美女2人とすれ違いました。(一人は自称真矢みき、うち一人は還暦。どっちがどっち?)
弘法大師御廟に到着。しっかりと手を合わせました。願いが通じることを祈って・・・・。
・・・さて帰りのバス出発の時間が迫ってきました。奥之院を引き返してバスに戻りました。
天気に恵まれ、気持ちいい研修旅行となりました。今度は、プライベートでゆっくりと訪ねてみたいと思いました。(終)
天気は晴天。とても気持ちのいい一日でした。
写真で振り返ります。
大阪を出発して約2時間半。高野山の中心、「壇上伽藍」に到着。
朱色の塔は「根本大塔」と呼ばれ、高野山真言宗の「根本」となる建物で、全宇宙の中心となる「大日如来」を表す、とされています。
堂内には、中央に本尊、胎蔵大日如来、その四方に金剛界の四仏が安置され、一六本の柱に極彩色の十六大菩薩、壁の4隅には密教を伝えた八祖像が描かれています。
この塔は、昭和12年に再建されたもの。高さが十六丈(48.5m)あります。十六丈は、百六十尺で、仏さまの身の丈が「1丈六尺」とされているので、その十倍の寸法で計画された、と考えられています。
1200年前に創建されて以降、994年に落雷のために焼失して以来、火災と再建を繰り返し、現在6代目の建物で、骨組みは鉄骨造で、その外側に木材で造った建築部材を貼り付けています。
西塔。根本大塔に次ぐ高さの塔です。
六角経蔵。平安時代の末期に建てられたもので、美福門院(鳥羽法皇の皇后)が、鳥羽法皇の菩提を弔うために造られたものです。
金堂は、高野山全体の総本堂。修行僧が手を合わせる光景は、なんとも荘厳な雰囲気でしたね。
壇上伽藍の地を後にして、次に向かったのは「金剛峯寺」。
そもそも高野山は、平安時代の初めに、弘法大師・空海によって開かれた日本仏教の聖地。「総本山金剛峯寺」というのは、金剛峯寺だけのことを言うのではなく、高野山全体をさす言葉です。普通。お寺といえば、その敷地内を境内といいますが、高野山すべてが境内なのです。 現在では、117のお寺が存在し、そのうち52か所が宿坊(しゅくぼう)で、宿泊の宿となっているそうです。
中に入ると(写真は撮れません)金剛峯寺持仏間に安置される御本尊、弘法大師坐像を見ることができました。平成11年にご開帳されて以来、高野山開創1200年記念大法会が16年ぶりのご開帳となりました。そして時期、再びの御開帳がおこなわれています。
本坊には大広間、梅の間、豊臣秀次が切腹した柳の間など多くの部屋があり、狩野派などの有名絵師による豪華な襖絵も見られます。石庭もすばらしかったですね。
また昔ながらの大きな台所もあり、修行僧何千人分の炊き出しを行っていたそうです。この薪は、今でも使われているんでしょうか。
お昼になったので、近くの宿坊「福智院」で昼食タイム。
高野山にある52の宿坊のうちの一つで、唯一天然温泉と露天風呂があるそう。住職から食事前に話を聞きましたが、温泉の掘削をするにも当時は大反対にあったんだとか。それでも根気よく、皆を説得していったそうで、なんだか自分の仕事に通じるものを感じた次第。何事も熱意と忍耐が大切だということを教えられました。
高野山といえばやはり精進料理。肉や魚のない料理はふだんなかなか食べません。毎日これだとさすがに・・・・という感じですが、たまにはいいもんです。新味があって、おいしくいただきました。
福智院を後にした一行が次に向かったのは「奥之院」。地図を見ながら歩きました。
弘法大師入定の地に建てられた奥之院へ続く約2キロの参道を歩きました。周囲には20万基を超える墓石が立ち並んでいるそうで、地図を見ながら歩きました。
参道は木々に囲まれ、パワースポットのような感じ。参道の両脇には、昔の武将、著名人の墓石がごろごろ。これは武田信玄、八代将軍吉宗、昭和の名優・鶴田浩二さんの墓石もありびっくり。
司馬遼太郎さんもありました。また企業の墓石も多く、創業者や従業員さんの墓石も数多く見られました。
なんと織田信長公も。豊臣家もありましたよ。
遠い昔の武将から、歴代の著名人まで本当にたくさんの墓石がありました。やはりここはある意味、日本の中心なんだなあと実感しました。
一緒に研修に参加している岐阜県代表と沖縄県代表の美女2人とすれ違いました。(一人は自称真矢みき、うち一人は還暦。どっちがどっち?)
弘法大師御廟に到着。しっかりと手を合わせました。願いが通じることを祈って・・・・。
・・・さて帰りのバス出発の時間が迫ってきました。奥之院を引き返してバスに戻りました。
天気に恵まれ、気持ちいい研修旅行となりました。今度は、プライベートでゆっくりと訪ねてみたいと思いました。(終)
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