おはようございます。
お隣りの前田さんに出会いました。
前田さんが向かう先は、海蔵寺。今日は近所の「みゆき会」という花見の会が開催されるのです。私も今回初めて参加することになり、前田さんと一緒に目的地に向かいました。
※以前海蔵寺を紹介してます。こちら>>海蔵寺に行ってみた
境内に着くと、桜がまだまだ咲きほこっています。
今回の主催者の原さんも到着。
原さん、傘を持っていますが、この時間の前まで大雨が降っていて、今もポツポツ降っています。なんでも晴れていたら、境内に咲いている桜を見ながら一杯、ということらしいのですが、残念ながら雨模様で、地面もかなりぬかるんでいるため、中止・・・・。
・・・ではなく、お寺の近くの長谷町内会長のご自宅で宴をやることになりました。でもせっかくお寺に来たので、まずは見学しましょう、ということになりました。
で、参加者は、原さん、長谷さん、田中さん、脇田さん、前田さん、 池田さん、田原さん、笹野口さん、今岡さんと私の合計10人。
この地図ではわかりにくいんですが、かつて海蔵寺は、大内時代は大内氏家臣の羽仁家、毛利時代は毛利家家臣の児玉家、浅野時代は浅野氏家臣の東城浅野家のそれぞれ菩提寺となっている、由緒あるお寺。そのため歴史上の人物のお墓があるんですね。
>>海蔵寺の歴史
そんな歴史を感じましょ、ということでメンバーでまずはお墓の散策を。
地図を片手に、という訳ですが、これまた確認がむずかしい・・・。
石段を登って上のほうへ。
今岡さん「古い墓じゃのう、ぐらいしかわからんのう・・・。」
なんせまあ、古いお墓も多いので、刻まれている文字や年号を読み取るのは困難。
とりあえず、年号がわかるもんを探そうや、という長谷さん。
読み取れたんでしょうか。
細い道を抜けると、目の前にはうっそうと茂った木々が。桜も爆発していました。
鯉が泳いでいる池を眺めて、散策は終了しました。
いよっ待ってました!宴会の始まり。
原さんの掛け声でスタート。
乾杯~!!
という事で、これ以降は、楽しい宴会となりました。
そもそもこの「みゆき会」とは、地域的にいうと田方公園から下の住民たちの集まり。そもそもの歴史では30年以上前からあるらしく、要は友達作りをしましょう、ということで集まった人たちの会で、みゆき会という名前になってから10年以上続いているとのこと。
みゆき会のみゆきとは、田方町内を流れる「御幸川」からとったものということです。
私が初参加なものだから、宴会では、ひとりずつ簡単な自己紹介をしました。
一口に田方の住人といっても、以前は他の土地に住んでいて、途中で田方に引っ越してきた人が半分以上。
昔は、地の人から、「よそもん!」と言われた時期もあったようです。
そんな苦労を経て長い年月をかけて土地に馴染み、ようやく地の人になっていったんですね。
斯く言うワタシも、もともとは長崎の出身。
高校卒業して広島に引っ越してきたときには、なかなか広島の友人ができず、寂しい思いをしたことがあったなあと。
懐かしく思い出されました。
そして根っからのジモティ、みゆき会会長の原さんはこう言いました。
「大昔、田方の生え抜きのお年寄りから、‘おまえらよそもんが生意気言うな’と言われた時もあったかもしれない。だけどね、よそから町内に転入してくれる人は、よその土地のいい面も知っている、悪い面も知っている。だから田方に来たら、この町をこうしたらいいんじゃなかな、と気がつく場合もある。そういう意味でも私は田方町内に転入してくる人は、多いに歓迎すべきだと思います。」
とても印象に残る言葉でした。
自己紹介をしながら、若い頃の思い出を語ったり、病気になった苦労話を語ったり。
メンバーのみんなも一言ずつ質問や意見を投げかけ、なかなか紹介が終わらず、途中でコメント制限が出るほど、会話が弾みました。
今日の参加者の平均年齢はワタシ(50歳)を除いたら70歳ぐらいでしょうか。だけど一緒に飲んで、まだまだみんな若い!ということを実感しました。
大病を患った経験のある前田さんが最後に、
「人間というのは、病気では死にません。寿命で死ぬんです。私も生死の淵を行き来した経験がありますが、それも試練。自分が背負った業(ごう)やと思ってそれも一緒に背負って、正しく生きていかないと。」
まだまだ元気で、当分寝込むようなことは決してなさそうなほどのみなさん。一人だけ(比較的)若い私もとても元気をもらいました。
みなさん、お疲れさんでした。
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